閑話休題「前職のこと」
今回はちょっと、醸造長の身の上話など。
南横浜ビール研究所で醸造をする前はというと、まったく違うことをしていました。
では何を生業としていたかというと、やはりものづくりでした。
リヤカーを作っていたのです。
リヤカー。
いまみなさんの脳裏に浮かんだそれとは、おそらくかなり違います。
これはANAさんからの発注で大阪伊丹空港に納入した、おそらく世界最大のバイシクルトレーラー。
電動アシスト自転車と組み合わせて、200キロ以上の荷物を楽に運びます。
これは、自動改札を通過して電車に乗せられるように作ったミニマムサイズのトレーラー。
自分が釣りに行くために開発しました(笑)
じつは、これらの製品も、まったくゼロから開発しました。
材質、構造、工法、使用パーツの選定とその強度テスト、すべて手探りで開発を始め、改良を重ね、製品化し、発売したのです。
リヤカーなんて作ったことなかった(笑)
約半年かけて基本モデルを完成させると、今度はラインナップを増やしていきました。
折りたたみできるもの、トランスフォームして屋台になるもの、担架をセットしてストレッチャーになるもの、背面がスロープになったペット用などなど、最終的にはリヤカーだけで80以上のアイテムを揃えた、異常なネットショップになっていました(笑)
その間も、改良の手は休めませんでした。
ものづくりにおいて、現状維持は後退に他ならないのです。
いま、リヤカーづくりの経験はそっくりそのままビールづくりに生きています。
イメージする味をめざして麦芽をチョイスし、その配合を調整し、ホップの種類を検討し、その量と投入タイミングを考え、適する酵母を選ぶ。
ちなみに当社では、あらかじめ到達する初期比重と最終比重(自動的にアルコール度数も)、色度、IBUを設定してから、ぴったりそれを実現できるように計算してレシピを決定しています。
先にレシピを決めて、モノは出来たナリ、というブルワリーも多いようなのですが、というか当社も最初数ヶ月はそうだったのですが(もちろん全然悪いことではないです)、いまは「狙い通りつくる」プラクティスをかねて転換しました。なるべく曖昧さを排除していこう、という意味もあります。
脱線しました。
こうした一連の醸造作業、おどろくほどリヤカーづくりと似通っています。
ほとんど同じことをしている、という感覚すらあります。
リヤカーは実用品の極みのような存在で、その設計は「性能を最大化する」ために行われます。デザイン的な要素の入る余地は多くありませんでした。
リヤカーの設計をひとことで表すのによく使っていたのは「最適な配置へのアプローチ」という言葉です。
最高の性能を実現するために、多数のパーツの位置関係のベストを探っていく作業。
面白いことに、実用品の対極、嗜好品の極みとも言えるビールづくりもまた同じなのです。
より良いものを求めて、麦芽やホップ、酵母の選定、配合、そして醸造プロセスを組み立てていく。
ただひとつ違うのは、解がひとつではないこと。美味しさの表しかたには無数の正解がある。面白いところです。
そうそう、さらに時間を遡りますと、じつは教育産業にいたりしました。
そして、いま振り返ってみると、そこもまたものづくりに似た環境でした。
勉強の方法、勉強の指導法を考える、ということをしていたのです。
うん、あれはまさしくものづくりと言える作業だったなあ。
約25年、そんな経験を経て、オーナーとふたり、ビールづくりというまったく未知の分野に飛び込みました。
いえ、その経験があったから、飛び込めたのだと思います。ものづくりの経験、ゼロからスタートして築いていく経験。
わたしをこの道に誘ってくれたオーナー(高校の同級生なのだ)は随分チャレンジャーだなと思いますが、おそらくは、わたしのこうした経験があったから誘ってくれたのだろうと今は思います。
ものづくり脳というものがあるとしたら、わたしはまさしくソレだと思います。
自らの手で「価値そのもの」を生み出せるものづくりには無上の喜びを感じますし、ビールづくりに関することならいつまででも考えていられます。
というか、お店に立っている時に考えに没入してフロアマネージャーのななこちゃんにぶっ飛ばされます。
えー、ここまで読んでくださった方に、ここでひとつお詫びしなければなりません。
着地点を見失っています←
まああれです、5年前の自分が今の自分がビールを作っていると知ったら腰を抜かすでしょう(笑)
いや人生って不思議だ。
さて。
これからも、南横浜ビール研究所は、とにかく一生懸命考え、技術の向上への努力を怠ることなく、チャレンジも忘れず、美味しくて面白いビールを生み出していくことをお約束します。
初心忘るるべからず。
うん、永遠にビギナーでいいです。
オッサンふたりですけど!(際どく着地)