第12回「ビアラボはSMaSHをやらない」
ここ最近よく見るようになったSMaSH 。
Single Malt Single Hopの略ですね。
1種類の麦芽と1種類のホップだけを使って仕込んだビールのことです。
深掘り命のビアラボ的には、いかにもやりそうなジャンルかなとも思えますが、じつはやる気ありません。
なぜか?
誤解を覚悟で言いますと、美味しくないからです。
より詳しく言うなら、より美味しいものを、というアプローチとはベクトルが異なっているからです。
モルトには種類によって異なる味わい、性質が備わっています。
単一のモルトで仕込むと、その特質だけが突出し、他の要素が不足あるいは欠落します。
ホップにも同様に、品種によって異なる性質が備わっています。苦味をつけるのに適したもの、煮沸で香りをつけるといい感じのやつ、ドライホッピングで素晴らしい品種といった感じで得意分野があり、全てが最高という品種はありません。
つまりSMaSH は、「宿命的に最高に美味しいビールはつくることができない」のです。
それでも、今日もSMaSH はつくられ、飲まれています。
そのモルト、そのホップの品種の特徴をつかむことができる(と思われている)からでしょう。
そのことに価値があるのは事実だと思います。しかし、その価値を必要としているのは、ブルワーと一部のマニアだけなんじゃなかろうか、とも思ってしまうのです。
わたしたちブルワーは、飲んでもらったビールに対価を支払ってもらいます。お金をもらうのです。
そこを軽く考えてはいけない、と常に思うようにしています。
20年以上ものづくりに携わってきて、心の中に培われてきた思いがありまして、それはごくあたりまえのことなのですが、「よりよいものをめざして、製品をつくる」ということです。あたりまえすぎるな(笑)
できたものは、結果として最高のものではないかもしれません。いや、最高のものなんて一生に一度つくることができるかどうかさえわかりません。
だけど、最高のものを、前回よりもっと良いものを、と考え、工夫し、努力してつくったものには、相応の価値が宿ると思うのです。
そう考えると、どうしてもSMaSH には手が伸びません。
たとえば、CITRAは今日のクラフトビール文化になくてはならないとても優秀なホップですが、その優秀さはアロマ・フレーバーによるものです。対して苦味の質については「かなりいいが、最高というわけではない」という感じです。
ホップが持つ苦味の質を決定づける大きな要因のひとつに「α酸におけるコフムロン含有率の低さ」があります。
荒く重い苦味、渋みの元となるのがコフムロンで、CITRAだと含有率は20〜25%。一方、当社が主力としているビタリングホップSIMCOEは16〜20%で、このわずかに思える差がじっさいにビールになると大きな違いとなります。
ちなみにCASCADEでは35%くらい、GALAXYに至っては40%以上も含まれており、これはもう1秒たりとも煮込みたくないレベル(笑)。
ないとは思いますが、GALAXYのシングルホップとかあったら敬遠するか、あるいは覚悟して飲んでください←
脱線しました。
この「良質な苦味を得る」という一点において、シングルホップはイマイチなのです。
どうしても、というなら、CITRA、MOSAIC、そして使ったことはないのですが、成分表を見た限りではSABROなどは比較的いいんじゃないかと思います。
そうそう、もちろんSIMCOEもいいんですけど、香りのボリュームという点では上記のホップより1〜2ランク落ちますので、量が必要になります。ホップ投入量に設備的限界がある当社ではちと厳しい。
まあなんといいますか、ブルワーの性格的に「そこに超イイとわかっているシムコがあるのに、シングルホップにしたいためだけに他のホップでビタリングする」のが無理なのです(笑)
より良い結果になるように、ホップの種類と配合はもちろん、投入タイミングや投入時の温度などを組み立てるのがスジだ、と頑なに信じているのでした。異論は認めない(笑)
あとですね、ことホップに関しては、ビタリングはたとえばシムコに固定しといて、そこ以外に使うホップを単一にすれば「擬似シングルホップ」になります。
シムコ+シトラを飲み、シムコ+モザイクを飲めば、その差分がシトラとモザイクの違いとしてきちんと把握できちゃうのです。
そうそう、シングルとは逆に、むやみやたらといろんなホップをブレンドするのもちょっとアレです。
以前も書きましたが、ホップの個性とは持っている芳香成分の凸凹によって生じますから、色々混ぜても出てくるのはただの平均値です。混ぜれば混ぜるほど無個性になっていくわけです。
シングルも気に入らない。ブレンドしすぎも気に入らない。めんどくさいブルワーですねえ(笑)
なんと言いますか、このご時世、製品にはすべからく情報がひっついており、この情報も含めて「価値」というものが生じることは認めざるを得ません。
SMaSH には、このモルト、このホップはこういう味わいだ、という情報が価値として添えられています。
しかし、「飲み物としての美味しさという価値」>>>>>「付属する情報の価値」という図式は絶対に覆ることがありません。
なんの予備知識もなく口に入れて「こりゃうめえ!」と思ってもらえることこそが、ブルワーとしての最高の喜びなんじゃないかなあと思っています。
わたしは、ブルワリーにはそれぞれ異なる「役割」というものがあるんじゃないか、なんて考えています。
たとえば、業界を、そしてファンをマニアックな方向に導き啓蒙するブルワリーがあってもいい。
そういうブルワリーがSMaSH をやることには一定の意味があると思います。
しかし、金沢文庫という横浜のはずれの一住宅地に立地する、ぼくら南横浜ビール研究所の役割はちがいます。
「より多くの人にクラフトビールに触れてもらい、好きになってもらうこと」こそが自分たちが担うべきだと思って日々醸造に勤しんでいます。
どこの誰に飲んでもらうのか。
そこ大事ですよね。
ごほん
ブルワーの自己満足にお客さんを付き合わせるのはダサいんだぜ?(また敵増やすー)